2009年10月20日火曜日

10月2日の記事における追記のまとめ,その他

こんにちは.僕です.

追記が増えると読みずらいので,今回の記事に改めてまとめてみました.



追記:2009年10月8日

大学院の現状に関する記事を見つけましたので,以下にリンクを貼っておきます.

『Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録』の2009年10月4日の記事

ただし,ポストを獲得するために,仲間と切磋琢磨することはいいことやと思います.多くの論者が,「ポストがないのに,なんで博士課程修了者をそんなに量産したんだ」と訴えていますが,少し偏った意見ちゃうのかな.
おそらく,現状において,ポストの数が過少であるという点が最大の問題であって,ポストを獲得するために,高い研究の質を大学院生に求めるという姿勢は大切なのではないかと思います.

質の向上と適度な競争には相関があると思いますが,いかがでしょう?




追記:2009年10月9日

京大の「白眉プロジェクト」が始動しました.

次世代研究者育成センターの「白眉プロジェクト」のお知らせ

なにかと理系向けフェローシップが多い昨今ですが,文系・理系だけでなく,領域を問わずに5年間の有償研究員を,京都大学が募集します.特に,基礎研究も対象に入るようで,さすが京大です.

上限が20名で,国際公募するようですが,もし博士号が取得できたら応募してみようと思います.こういう前向きなプロジェクトを,他の大学でもやってくれたらいいんですけどね.どうなることでしょう.

ただし,文系と理系では,特に論文の生産性も違えば,質的な差異もあります.どう評価をするのかが問題ですが,とりあえず,僕は僕のやり方で,質にこだわった論文を書いていこうと思います.

リンクに追加しておきます.




追記:2009年10月20日

どうやら,『職業としての大学教授』が物議を醸し出しているようである.





この本に対して,以下の二つのブログ記事に注目したい.

1.「博士は募集停止にすべき…衝撃の提言」,ブログ『科学政策ニュースクリップ』(2009年10月13日の記事)

2.「博士は募集停止にすべきか」,ブログ『Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録』(2009年10月14日の記事)


「博士課程修了者は,研究者か,教育者か」

この問題は,これまでずいぶんと議論がなされてきました.文部科学省の失策と時代の流れから出てきた議論すべき問題です.もちろん,博士は,両者の資質を兼ね備えていなければなりません.

博士は,一流の知識を,広く一般に伝える義務があるのですから.

でも,そのことと博士課程の募集を関係づけて議論するのは,少々強引なのではないかと日頃から思っております.

大切なことは,真剣に学びたい学生を一人でも多く育てる学部環境を整えることである.

真剣に学びたい学生とは,常に考え続けることが楽しくて仕方がなく,意見の違う相手や知らないことに対して,「もっと知りたい」という気持ちから行動する学生である.
そのような学生は,当然,人の意見はしっかり聞くし,自分の考えをできるだけ理解してもらおうと努力をする.

かつての天才がどうであったとか,そういう議論ではない.
そもそも,他人の心を理解して,行動できない人間は,いつの時代だって求められない.お金に交換のできない知識を生産している以上,これは必須な能力である.

謙虚さのない院生,わがままな院生,周りの状況を考えられない院生,こういう院生があまりに多すぎるのが,博士課程における真の問題なのではないか、と思う.当然,このような学生は,博士に値しない.


このような問題に付随するかたちで,博士課程の定員の問題があるのではないだろうか.
(※そして,業績のある学生しか獲得のできない学振(日本学術振興会からの生活費兼研究費)などの問題もある.修士課程および博士課程二年の時点で,ある程度の業績(つまり,レフリー論文)のない学生は,育英会の奨学金という名の一千万を超える借金をかかえて博士課程を修了するのである.)

学びたいと思わせる環境を整えることが先決であり,そのためには,大学の教員も院生も,自分の研究姿勢や教育について真摯に考える必要がある.

内発的に変えるには,どうしたらいいのだろうか.まずは,「自分から」の精神が求められよう.




追記:2009年10月26日

とんでもない良書が出版されました.

これまで,岩波書店や新日本出版の『資本論』に目を通したことはありましたが,結構,敷居が高いのです.それは,決して僕だけが感じた印象ではないでしょう.

ところが,20日に出版された『マルクス自身の手による資本論入門』は,非常に分かりやすい表現で書かれており,『資本論』の概要を理解するには,もってこいの本ではないかと思われます.





さすが大谷禎之介さんです.大谷さんの『社会経済学』は,四回生の時に読みましたが,『資本論』の解説書として良書であると感じたのですが,今回の『資本論入門』は,ハンパないっすね.

モストの原著に,マルクスが加筆・修正をして第二版を出版したということで,マルクスによる『資本論』の解説書として読むことができるので,大谷さんの訳し方と合わせて,とてもすばらしいものとなっています.

また,あとがきによれば,大谷さんは,『資本論』を新たに「です,ます」調で訳す作業に入っているそうです.

大谷訳の『資本論』が待ち遠しいです.もし,『資本論』に関心がある方は,この入門書を読んでから,『資本論』に取り組むのがいいかもしれません.

あまりによかったので,ついついブログに追記してしまいました.
また明日から一週間がんばりましょう!


※Google OSは,こーんな感じ.



要するに,パソコンをネット端末にして,ネット上ですべての作業をしましょうってことですね,わかります.

でも,本当にこれだけ???



それでは.

2009年10月2日金曜日

なんとか生きております(笑)

みなさん,ご無沙汰しております.
8月から一度も更新せずに申し訳ありません.腰の方は,痛みが大きくなるときと,ほとんど感じられないとき,というように,まぁ,うまく付き合っていくしかないようです.

この二ヶ月,本当に忙しかったです.そして,苦しかったです.

拙著が学内の紀要と学会誌に掲載されることになり,卒業が見えてきました.ともに査読付きです.今月末にも,拙著を投稿します….関係諸氏には,昨日郵送しました.

どうしてこんなに業績が必要なのか分かりませんが,査読付きの論文が二本なければ,博論の執筆許可が申請できないんですよね.先輩方の話によれば,執筆許可申請をしていなければ,単位取得退学の資格さえ得られることができません.まぁ,執筆許可申請によって,イギリスでいうPh.Dよりワンランク下のM.Philの資格を与えることにしているのでしょう.


とりあえず,博士の学位を取得するには,かなりの業績が必要になります.

つまり,ある程度の数の業績をつくらなければならないために,ワックスがけをする十分な時間が与えられていないのです.

※用語解説
ワックスがけ…内田樹さんの言葉.推敲の書け方に関する一表現.文章の推敲を,毎回冒頭から行うこと.廊下にワックスをかけるように,同じところを何度も練り,文章の「通り」をよくし,最終的には,読み手の方も,一気に最後まで読めるようにする行為のことである.(参照:『内田樹の研究室』2009年9月1日の記事)



これでは,落ち着いて研究する時間などありませんよね.僕の所属している学会の学会誌に掲載されるには,最低1年半かかるので(掲載証明書の発行を取得することができるが,それでも1年はかかる),博士課程に入ると,すぐに修士論文を切り売りして,論文をサブミットしなければなりません.

でも,この業績主義の流れは,止まることなく,今後数年間は続いていくでしょう.あるところまで行けば(これは日本のアカデミズムが崩壊した時かもしれませんが),これが間違いであったということに気づくかもしれません.

では,なぜ,このように博士論文を執筆するために,尋常でない業績が必要なのかを三つ考えてみました.


1.業績により,博士号に値するかどうかを客観的に見極めることができる.

1本も公刊論文のない人と,3本の公刊論文がある人とでは,数量でみた場合,後者の人の方が評価されやすい.
だから,論文のない人は,がんばっていない人という受験教育的思考がまかり通るようになっている.
さらに言えば….

ちなみに,院生時代に査読付き論文を書き,課程博士在学中に博士論文を執筆したことのない人が,査読付きの学会誌の論文を査読し,院生を指導する場合,これは何かおかしいのではないか,と思うのですが,問題ないのでしょうか….


2.査読付きの論文によって,指導教員の負担を減らすことができる.

これは,指導教官に研究能力がない場合に,もっとも当てはまるでしょう.
すなわち,研究の質を正当に評価できない場合(が増えているから!?),専門の学会誌の査読を信頼にして,研究の質を担保することができます.

悲しい現実です.
でも,内輪の小さな学会や研究会が査読付きの雑誌を公刊するようになったら,どうするのだろうか?


3.多くの業績があることは,対外的な体裁をよくすることができる.

これは,「うちの研究科で博士号を取得するには,これくらいの業績が必要なんです」という一種のアピールですね.権威を示すことに意味をもたせているのかもしれません.
上記の1.と2.を総合して形成されるのが,この体裁でしょうね.


もっと大きな深い理由があると思いますが,僕の頭では,このくらいしか思い浮かびません.
こんなことを考えて暇があったら,研究した方がいいですね.ただ,大学院へ進学を考えている後輩の方々,よく考えてから,こちらの世界へいらしてください.

本来,研究はとても魅力的なものですし,楽しいものです.
だから,貴重な20代すべての時間を費やすだけの価値はあります.

ただし,社会人になった場合に得られたであろう給与は,当然,放棄することになり,借金生活が待っております.

それでも,チャレンジする価値があると思います.


対価をもとめる意思決定は,ある意味では大切ですが,それがすべてではありませんし,学問はそのような思考では取り組むことができません.

なんだかよくわからないけど,研究(考えつづけること)って魅力的なんです.

両親や兄弟には迷惑をかけるでしょうが,それは,研究成果でもって恩返しをすればよいと思います.(ただし,生きている間にはできないかも知れません)


一歩でも前に進むことができたら,それは素晴らしいことやと思います.

これから本格的に忙しくなるので,なかなかブログの更新ができませんが,がんばっていきます.
なにかあれば,ご連絡ください.

みなさんも,体に気をつけて毎日を過ごしてくださいね.

それでは.